19年間強豪スパーズの絶対的な大黒柱。5度のNBAチャンピオンをチームにもたらし、史上最強のパワーフォワード候補に必ず彼の名は上げられる。
華やかより堅実かつ冷静なプレイスタイル、そして圧倒的な安心感をチームメイトに与えるその存在。
人々は彼をこう呼ぶ、「ザ・ビッグ・ファンダメンタル」ティーム・ダンカン
図鑑データ
基本情報
名前:Timothy・Theodore・Duncan
生年月日:1976年4月25日
身長:211センチ
体重:114キロ
ポジション:PF(事実上Cも)
ドラフト順位:1997年1巡目1位
能力偏差値(自論)
オフェンス力:70
ディフェンス力:73
リバウンド力:73
ブロック力:70
アシスト力:65
ポストプレイ:75
所属チーム
サンアントニオ・スパーズ
個人記録・名誉
タイトル
- ジョン・ウッデン賞(北米高校卒業生のオールスターズ試合のMVP賞):1997
- ネイスミス賞(大学バスケットボールで最も活躍した選手賞):1997
- NBAチャンピオン:1999, 2003, 2005, 2007,2014
- レギュラーシーズンMVP:2002, 2003
- ファイナルMVP:1999, 2003, 2005
- オールスターMVP:2000(シャキール・オニールと共同受賞)
- ルーキー・オブ・ザ・イヤー:1998
- オールNBAチーム
- 1stチーム:1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2007, 2013
- 2ndチーム:2006, 2008, 2009
- 3rdチーム:2010
- オールディフェンシブチーム
- 1stチーム:1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2005, 2007, 2008
- 2ndチーム:1998, 2004, 2006, 2009, 2010, 2013
- NBAオールスターゲーム出場 : 1998, 2000~2011, 2013, 2015
- IBM選手賞:2002
- The Sporting News 最優秀選手:2002
- ACC50周年記念オールタイムチーム:2003
- APBR(Association for Professional Basketball Research)選出の「20世紀の偉大なプロバスケットボール選手100人」の1人:2007
- スラムマガジンが選ぶNBAオールタイム選手Top50において第8位:2009
歴代記録
- レギュラーシーズン ダブル・ダブル達成試合数 830試合 歴代1位
- プレーオフ ダブル・ダブル達成試合数 164試合 歴代1位
- 18年連続シーズンリバウンド500以上 歴代1位
- 同一チームに於けるレギュラーシーズン勝利数 954勝 歴代1位
- オールNBAチーム、オールディフェンシブチーム両方選出 13年連続(1997-2010) 歴代1位
- オールNBAチーム 15回選出 歴代1位
- オールディフェンシブチーム 15回選出 歴代1位
個人記録
- 最多得点:53得点(対 ダラス・マーベリックス戦 2001年12月26日)
- 最多リバウンド:27本(対 アトランタ・ホークス戦 2010年1月27日)
- 最多ブロック:9(対 メンフィス・グリズリーズ戦 2007年1月26日)
- 最多アシスト:11(2回)
- 最多スティール:8(対 デンバー・ナゲッツ戦 2000年2月9日)
- 最多フリースロー成功:17本(対 ユタ・ジャズ戦 2002年1月17日)
- 最多出場時間:52分(対 サクラメント・キングス戦 1999年4月27日)
- ファイナルMVPを3回以上受賞するという偉業はマジック・ジョンソン(3回)とマイケル・ジョーダン(6回)、シャキール・オニール(3回)に続き史上4人目の快挙。
- デビューから2010年まで、オールNBAチームとオールディフェンシブチームの両方に選出され続けている。13年連続は史上最多。2位の記録は7年連続のデビッド・ロビンソン。
- 入団以来8年連続でオールNBA1stチームに選出された5人目の選手。残りはエルジン・ベイラー(10年連続)、ボブ・ペティット(10年連続)、ラリー・バード(9年連続)、オスカー・ロバートソン(9年連続)の4人。2005-06シーズンには故障を抱えたままでのプレイが続いたため1stチームには選出されず、この記録は途絶えたが、翌シーズンには復調し、返り咲いた。
キャリア・ビフォー・NBA
子供時代
アメリカ領てヴァージン諸島生まれ、幼いころからお姉さんの影響で水泳を目指いしていたが、1989年に巨大ハリケーンが島の唯一の競泳プールを破壊した故、水泳に情熱を失った。
そのあと、中学校3年生のころから義兄弟の影響を受け、バスケを始めた。バスケキャリアの始点が割と遅いが、徐々にバスケ界の頂上に君臨するスターになってゆく。
一時水泳のオリンピック選手を目指していたほど、水泳が上手いらしい。
大学時代
ウェイク・フォレスト大学ということに進学し、2年生からダンカンの評判が徐々に高まり、そこからNBAドラフトに参加しても十分だとスカウターたちに言われたが、大学はちゃんと卒業すると亡くなった母の意志を守り、4年生までちゃんと大学で勉強していた。
当時有能な選手は高校卒業後、または大学2年生終わりにドラフト参加することが一般的で、ダンカンみたいなケースは逆に稀だった。
そして大学の4年間を使い、ダンカンはほぼすべての賞を総なめし、NBAチームどこもが欲しがる天才となっていた。
キャリア・イン・ザ・NBA
注目すべき時期
正直、1997年ドラフト参加から2016年引退までダンカンはずっとすごかった。それぐらい彼は安定していてブレのないキャリアを送っていた。
強いて言えば、
・1998-99年デビット・ロビンソンとのツインタワーコンビで優勝した時期と、
・トニー・パーカーとマヌー・ジノビリの加入による2002-07の5年間3冠時期、
・および2013-14シーズンで当時レブロン、ウェイド、ボッシュを有するマイアミ・ヒートをぼこぼこにし、ダンカンの5冠目をかざした時期。
1998-99シーズン
当時スパーズの大黒柱だったスーパーセンター、デビット・ロビンソンのもとでセンターだったダンカンはパワーフォワードのポジションに回り、スパーズは無敵のインサイドを成し遂げた。
プレーオフでは、ティンバーウルフ、レーカズ、ブレイザーズ、ニックスを圧倒的なリバウンド主導権、ポストアップ優勢で伏し、ダンカンは初めてのファイナルMVPを手に入れた。そのとき、ダンカンまだは23歳である。
ファイナル決勝第4戦対ニックス、ロビンソンとダンカンだけでニックスの総リバウンド数を上回った35リバウンドを上げた。「リバウンドを制する者は試合を制す」安西先生もこの試合を見てそう思うようになったんだろう~
2002-07、5年3冠時期
2002-03シーズン、ロビンソンが引退意志を発表し、スパーズは高齢化を防ぐためトニー・パーカー、マヌー・ジノビリといった若き新しい戦力を取りいれた。
そこから5年間、パーカーとジノビリの急成長およびダンカンのリーダーとしての成熟で、スパーズはロビンソンが去ったあとなおNBAの頂点に君臨し、5年内3冠をかざした。
その時期から、ダンカンはパーカー、ジノビリと合わせてスパーズのビッグスリーと呼ぶようになり、3人はスパーズを10年以上支え続けていた。
パーカーとジノビリの活躍により、ダンカンの攻防両端の重責を分担し、スパーズはよりチームワークを大事にするプレイができるようになった。
2013-14時期、5冠目の栄光
ビッグスリーがキャリア高齢期になってはいたが、スパーズの新星カワイ・レナードの覚醒と、ポポビッチのチームワークを極限まで出し切る巧妙な戦術により、その年のスパーズは歴史級の優秀成績を残した。
また、プレーオフ・ファイナルではレブロンが率いるマイアミ・ヒートと、前年と続き2年連続の因縁勝負。
そこで、スパーズはヒートにため息をつかせる暇も与えずに、4対1でその年のチャンピオンをものにした。ヒートが唯一勝った試合はわずかスパーズより2点多かった。
プレイ特徴
ダンカンのプレイスタイルは、彼のニックネーム「ザ・ビッグ・ファンダメンタル(The Big fundamental)」が一番その特徴を表している。このニックネーム彼のライバル、シャキール・オニールがつけたもの。fundamentalという言葉は基礎という意味を表している。それは、ダンカンのプレイは参考書やマニュアル本といっていいほどであり、バスケ全ての基礎知識を合理的に試合に運用している。
身体能力と技術とセンスが全備
ただ基礎知識とは言え、驚異的な身体能力があるからこそ極限まで運用できているのだ。2,11メートルの身長に2,30メートルのウイングスパン、トップセンターにも劣らない体重にパワーフォワード離れの俊敏なポストステップ、局面を冷静に見極めれる大局観と安定したシュート命中率、そう、彼はローポジションのプレイヤーとして完璧なのだ。まぁ、彼の欠点を強いて言えば、完璧で無駄な動きもなく冷静に攻防両端をこなし続けているからこそ情熱的なプレイが少ないことに尽きる。
最高のポストプレイ
先ず、低い位置でのポストプレイに焦点を当てると、ダンカンはオラジュワンとマイクヘイル以降もっとも全面的なポストプレイスキルを持っている。上で述べたように、ダンカンは体重、身長の優勢にウィングスパンがとても長いので、ペイントエリアの深くまでポストを固めてボールをアウトサイドから簡単にもらえる。そこでダンカンにパスをすれば、彼は右も左にもポストチェンジができる。
スピードは速くないが、広い肩でディフェンダーの手をボールから距離を置きつつ教科書レベルのフックやバンドシュートを決めていく。それが彼の看板技である。素朴で簡単に見えるが、19年間NBAでだれもそれを止められなかったことが事実だ。
抜群のスクリーンスキルとディフェンス力
ポストプレイだけではない、彼のスクリーンスキルも敵陣を切り裂く刃である。ダンカンとパーカーのスクリーンプレイはNBA史上屈指の名コンビレーションだと思う。ピック&ロール、ピック&ポップ、ピック&スピリット、ピック&フェイドのどれでも両者は完璧にこなせるのだそして、ディフェンス面においてもダンカンはすごい。キャリア通してブロック回数は3020回で、歴史上4位であることも忘れてはならない。
プレイ動画
BA公式サイトが選んだナッシュのトップ10ハイライト
スピンステップやパワーフォワードの俊敏さ、トップセンターが持つべしパワーとジャンプ力。
最後に生涯シュート数10つを超えないスリーポイントをそのサンズとのセミファイナルでぶっぱなしちゃうメンタル!すごいです!
ダンカンのポストアッププレイはとにかくブレない、彼の表情張りにブレないのだ!!
パワーハウスと呼ばれていた彼のポストプレイは45度バウンクショットが一番代表的である。
もちろんはゴールに一直線で飛んで爆ダンクをかますのもお手の物。
これはプレイではなくとある結構ダンカンに関する有名な話だが、
2017年対マーベリックスの試合で、審判はベンチにいたダンカンが自分に対して笑ってことを理由にダブルテクニクファウルをだしてダンカンを退場させたという珍事件でござる。
結果ダンカンは2,5000ドルの罰金で、このクロフォードという審判も一年ほど停職され、ネットで大きく叩かれていた。
ネタ情報
ダンカンは同時代のケビン・ガーネットを嫌っているらしい、、、
理由はガーネットのトラッシュトークがすごく面倒くさいらしい
2007年7月30日、カナダ政府がナッシュに国民栄誉勲章をナッシュに授与でした。
それは、ナッシュのNBAでの傑出したキャリアだけではなく、彼の教育、慈善事業といった社会への貢献を含めた賛美である。
2010年11月13日の北米雑誌「Life&Style」でナッシュは離婚を発表した。
今ではほかのプロバレー選手と再婚しており、前妻との2人娘、1人息子、今の妻との1人娘、1人息子で合わせて5人のお子さんを育てている。